2010年9月6日平和式典報道2

9月7日(火)原爆死没者追悼・平和式典を報じた新聞

■山口新聞

 核廃絶願い200人黙とう 山口で原爆死没者追悼式

 山口原爆死没者追悼・平和式典が6日、山口市宮野江良の原爆死没者之碑前であり、参列した被爆者や遺族ら約200人が核廃絶を願うとともに、平和への思いを新たにした。県原爆被爆者支援センターゆだ苑(岩本晋理事長)が主催。 


 

 

 岩本理事長は「被爆の惨劇は、何十年何百年経っても消えることはない。人類にとってもっとも悲惨な事件。今こそ、わが国が核兵器廃絶に向け世界の先頭に立つべきとき」と述べた。昨年の式典後から1年間に亡くなった県内の被爆者8人の名簿と2人の遺骨を代表者2人が収納し、黙とうをささげた。参列者は碑の前で献花し、手を合わせて被爆者の冥福を祈った。 

 下関市一の宮町の久村南海子さん(76)は「戦争には、二度とかかわりたくない。若い人たちには苦しい日々があったことを忘れないでほしい」と話していた。

 

 1973年9月6日から同市江良地区で始まった発掘調査で13人以上の原爆死没者の遺骨が見つかったことから、同日を「山口のヒロシマデー」と定めた。75年から毎年、式典を開いている。同苑によると、3月末で県内の被爆者健康手帳保持者は約4200人、平均年齢は78歳という。 

■朝日新聞

 碑のそばの納骨堂に新たに2人の遺骨が納められ、死没者名簿には、8人の名前が書き加えられた。参列者は、やけどに苦しみながら亡くなった犠牲者を悼んで献水し、黙祷をささげた。

 主催の県原爆被爆者支援センター「ゆだ苑」の岩本晋理事長(67)は、「戦後65年がたち、戦争や被爆を知らない世代が人口の7割を占める時代を迎えた。核兵器廃絶運動の源泉は、まずは原爆被害の実情を知ること。私たち1人ひとりができる取り組みを実践していきましょう」と訴えた。


 

 ゆだ苑によると、1980年ごろには1万人を超えていたとみられる県内の被爆者は、現在では約4200人。平均年齢は78歳になっている。

 

<囲み記事>

★2世として何ができるのか(山口市の西村さん)

 被爆者が高齢化し「体験をいかに語り継ぐか」が課題となるなか、被爆2世も、原爆にどう向き合えばいいのか、答えを探し続けている。

 山口市嘉川の西村幸雄さん(64)はこの日、88歳で昨秋死去した父健一さんの遺骨を分骨した。

 国鉄の機関士を目指し、広島県西部の教習所にいた健一さんは原爆投下の翌日、広島市内に入り被爆した。戦後、皮膚がんなどを患った。幸雄さんが20歳を過ぎた頃、父が被爆者手帳を取るために当時の同僚と連絡を取っているのをたまたま耳にして、父が被爆者であることを知った。だが父が、被爆について語ることはなかった。

 あの日、父は何を見たのか。自身も国鉄に就職した幸雄さんは、広島の街を何度も歩いた。原爆資料館にも足を運んだ。当時の惨状を目にすると、言葉が出なかった。あまりの悲惨さに「深入りしたくない」とさえ思った。

 この日、分骨したのは、何も語らなかった父を同じ被爆者仲間のそばにいさせてあげようと思ったからだ。花を供えながら心の中で「ここにいたら仲間の顔も見えるだろう」と語りかけた。 

 自身は、被爆2世として何ができるのか思い悩む。「体験のない自分に何かできるとすれば、被爆者の会の活動を支えていくことぐらいでしょうか」

 

★山口ヒロシマデー

 1973年、広島への平和行進を準備していた山口大の学生が募金を呼び掛けに回った時、県職員の一人から「旧陸軍病院に運ばれ、亡くなった被爆兵士の遺体を、山口市宮野下の共同墓地に埋めた」という証言を得て、9月6日、発掘作業を開始。

 学生や被爆者、ゆだ苑の関係者らが10日間かけて13体以上を収骨した。翌74年にその場に慰霊碑を建立し、75年から「山口ヒロシマデー」として追悼・平和式典を続けている。